丹沢通信No.123  2009.2.16. △top page
百蔵山と猿橋 △tanzawa report
百蔵山からの富士山

 2/7(土)に中央線沿線の百蔵山に行きました。その直後旅行などで遅れましたが報告します。
 富士山を眺めるには空気が澄んでいる冬、それも朝がよいのですが当日は暖かくなって雲がわき、 薄い靄が富士山を遮ってぼんやりとしか見えませんでした。山頂で一緒になった方は扇山から 来られたのですが9時半頃、扇山ではきれいに富士山が見えたとのことでした。
福泉寺参道の大きな石碑
衆善奉行と刻まれている

 写真は雲間から頭をちょっぴり出した姿で、残念ながら出来が悪いのですが、 大月市選定秀麗富岳12景の名に敬意を表してWebに掲載してます。
 この山は始めてです。朝早く出てJR猿橋駅に7:45頃に着きました。福泉寺前までバスを利用する 予定でしたが、時間があるのと、じっと待つのが冷たいので歩き出しました。
 参道の案内石柱の横に大きな石碑があり「衆善奉行」と刻まれています。Webで調べますと、 天保11年(1840)、時の住職・英林和尚が念仏講中を動員して建立したもので、 仏教の教えの「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」からとった言葉です。
 参道を進んで登山道が分からずに福泉寺の門の外からご住職らしい方をみかけましたので尋ねると、 境内の横から抜ける近道を教えていただきました。
 水晶場の標識ヤジ(シ?)ロの標識 立派な鐘と造り替えらえた社 百蔵登山道はこの道尾根に出ること、と書かれた標識、左右に小さな祠がある
開けた百蔵山山頂、中央に「百蔵山1003m 山梨百名山」その右に「明治維新百年祭記念  百嶽大明神遺跡」の黒い石標、 右下が三角点

 この道は百蔵山を西南側から廻る道の一つで途中から二筋に分岐します。私の辿ったのは二筋のうちの 東側です。途中に「百蔵登山水晶場」の案内標識があります。かって水晶を採掘したのでしょうか。 帰ってからWebで探しますと「葛野川支流の滝ノ沢川奥に鉱山跡があり、その廃坑内に水晶のかけらなどを 拾いに・・・・」という記事が見つかりました。
 この標識の先に「百蔵登山道ヤジロ」の標識があります。地図には金比羅宮がありますから この標識に従って登りますと鉄柱に吊された鐘と、その先にトタン板で囲ったような社があります。 鐘には昭和10年に遺言により寄贈とあり、長男から七男までと、長女とその女婿の名が刻まれて います。
 社は昭和43年造り替えと書かれた銘板があります。社に比べ鐘が立派です。
 福泉寺前のバス停から丁度2時間で百蔵山山頂に着きました。ここまで全く人の姿を見なかった ので、土曜日なのに人気のない山と思っていたので、山頂で休んでいる10人余の人を見てびっくりしました。
 少し早かったのですが昼食休憩です。日差しが暖かく風もなく快適です。南側は開けていますが 、冒頭に書きましたように富士山の姿は僅かに見えるだけでした。

 下りは東側の道で地図に急坂注意と書かれていましたが、文字通り急坂です。その上に落ち葉が 道に積もり地面が見えず浮き石を恐れロープ伝いに下りました。この道は下りには避けた方がよいでしょう。 下り始めて30分、舗装道路にでます。その先には大きな浄水設備があります。総合グランドを横にみて 下和田の高速道路下に着きました。
猿橋の全景、谷が31mと深く橋脚がたてられない 岸から張り出した四層のはね木で橋を支える

 今回の山行のもう一つの目的は猿橋です。歴史的にはなかなり古くからあるといわれています。 谷が深く橋脚を建てられないので橋を支えるのに独特の工夫があります。 日光の神橋 と比較する興味で訪れました。現在の橋は昭和59年に架け替えられています。

 話は代わりますが1/7(水)に大倉から塔ノ岳に行きました。登山口の手前に、 帰る時にコロッケなどを売り出している家が ありますが、そこに大きな蝋梅があり、その右前方の畑にも小さいが2本の蝋梅があります。 丁度花が満開で甘い香りが漂っていました。今は花は終わっているでしょうが来年ご覧下さい。
 今まで気がつかなかったのです。これまでは、寂しさは花も紅葉もなかりけり、
でしたが、これからは冬の花として楽しみにします。
(終わり)

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