クラス会 信楽2016.10.11-12.
旅程は石山寺、塩野温泉泊、忍者屋敷、信楽です。
 石山寺
 無憂園  芭蕉庵
 多宝堂 光堂
鬼の姿になって石山寺を守護する朗澄律師

新幹線車中で関東組は顔揃え、石山駅でI.K.さんと合流、4人でバスで石山寺へ。石山寺は何度か行っているが記憶がない、初めて来たような感じ。東大門から入ってまっすぐ行くと無憂園と名付けられた庭園。 ここから山の方に上り諸堂を巡って下る、多くの花卉が植えられているが時期はずれでなにもなし。牡丹の頃ゆっくり1日掛けて再訪したい。

 塩野温泉  石山から戻り草津線甲南駅から宿の迎えの車で田圃の中の宿へ。明治31年創業の料理旅館。昔ながらの贅沢な造りの宿、温泉は沸かし湯ながら掛け流し。近江牛の夕食で皆さんご満足。 ビール2本と地酒の燗酒5本、昔の酒豪も衰えたものだ。朝食の食堂で衛戊病院指定の療養所の看板が掛かっていた。宿の車で忍術屋敷に向かう。宿の女将は忍者屋敷でのタクシー手配、信楽の気候など 親切に注意してくれた。そう言えば昨日、石山駅改札の駅員も遠来の我々に分かりやすく対応してくれた。
 甲賀流忍術屋敷 
甲賀流忍者五十三家の一つ望月出雲守の屋敷として元禄年間に建てられた。かくし梯子、縄梯子、落とし穴、どんでん返し、奥の部屋から外部に抜け出す三つの方法など、本物だけに面白いが・・
元禄は平和な時代と思っているが刃傷沙汰など多少の危険があったのか、それとも先祖を偲んで建てたのか?

 信楽  甲南駅から貴生川に戻り信楽高原鉄道で信楽へ、手元の高度計で標高差約100m。駅フォーム毎に2体づつ狸がお迎え。
大きな店先にはどこも大小の狸が勢揃え。何故信楽の狸が有名かという疑問にガイドさんから教えられたのは、昭和26年に昭和天皇が信楽訪問の際、 日の丸の旗を持ったタヌキを沿道に並べて行幸を歓迎したところ、子供の頃からタヌキの置物を集めていた昭和天皇は感激し、歌を読まれました。
「をさなきとき あつめしからに なつかしも
しからきやきの たぬきをみれば」   これで「狸は信楽」となったそうです。

I.K.さんが頼んだガイドにより信楽伝統産業会館内の展示を使って信楽焼の歴史説明から始まって街に出て幾つかの工房を廻りました。 制作中の現場や、シャトル炉の窯詰め状態も見られました。ガイドは昔の同業者で途中から話が通じやすくなった。
 道路の真ん中に埋め込まれた陶器の標識 左から ろくろ、窯詰め、壺 街角の標識も陶器
 登り窯の廃材を利用した土留め 窯道具(支柱)を利用した垣根 廃棄された登り窯
 窯詰めの様子 町が買い集めた江戸時代の茶壺 作品展示室の一点
上の写真で江戸時代の茶壺があるが、宇治の新茶を将軍家に献上するのに信楽の壺を使ったという。 「お茶坪道中」は街道の住民に迷惑をかけ、童謡「ずいずいずっころばし」にその様子が唄われている。

登り窯(左写真)手前から炉室が連なって斜面に沿って登っている横面を写す。左側に燃料の薪が置かれている。 現在はガス燃料のシャトル炉が主。
信楽の特徴は大型の器で壺、鉢などで他窯のように茶器は少ない。信楽が繁盛したのが昭和三十年代。最盛期にはトンネル炉もあったとか。
丁度「信楽まちなか芸術祭」が開催されて窯元などが開放され、いい旅行でした。計画を組まれた大阪のI.K.さんに深く感謝します。
(信楽 終わり)