日光 滝尾の路   2014. 9.17.
日光の観光案内を見ますと滝尾古道を歩く「滝尾の路」がありました。 27のポイントを辿りながら気のついたことを付け加えてみました。 以下番号のあるのは案内書のポイント、番号のないのは勝手に加えたことです。

日光市役所日光総合支所
東武日光駅から神橋に向かう道の左側山裾に白亜の城のような建物が目につきます。 日光を訪れる外国人観光客のホテルとして大正8年に建てられた「旧大名ホテル」で木造3階建て、鉄板葺。 その後、古河電工の所有を経て、1949年(昭和24年)に日光町に寄付され、 1954年(昭和29年)から庁舎として利用されています。

1神橋 2板垣退助銅像 3天海大僧正銅像
国道119号が大谷川に架かる橋の手前左側に板垣退助像、右に天海大僧正像があり、左前に神橋が架かってます。
神橋は世界遺産・重要文化財。平成17年に改修され、直後渡りました。
戊辰戦争で板垣退助は日光廟に構えた幕軍指揮官大鳥圭介と話し合って日光を戦火から救ったという。相手方の大鳥圭介の銅像があっても良いのでははないでしょうか。
天海大僧正は徳川三代の将軍に仕え、疲弊した日光山を繁栄させたという。さすがに面構えは凄い。

4深沙王(じんじゃおう)堂(蛇王権現) 
日光の開祖、勝道上人一行が大谷川に阻まれた時、神人が現れ赤・青二匹を放つと蛇が絡み合って橋となり、その上に山菅(やますげ)が生えたので、 上人一行が渡れたという伝説があります。この神人を深沙大王をとして祭る。

5太郎杉
太郎杉は大きくて写せないので、道路に接する根本を撮りました。
国道120号の拡幅のため、樹齢約550年、樹高約43m、幹回り約5.7mの「太郎杉」など老杉15本を伐採する計画に対し、 東照宮は計画の取り消しを求めて昭和39年(1964) 8月、宇都宮地裁に提訴。 9年間にわたる訴訟となり、勝訴してこの杉は残った。

6本宮神社 
本宮神社(ほんぐうじんじゃ)は勝道上人(735年-817年)が767年二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたことに始まるとされ、 現在は日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)の別宮となり太郎山の神を祭る。国指定重要文化財。
なお日光三山とは男体山(古名を二荒山)・女峯山・太郎山で、ほか日光連山を含めて二荒山神社の境内としている。

7四本竜寺 三重塔 8四本竜寺 観音堂(金剛堂)
創建は天平2年(766)勝道上人が祈祷していたところ、後に紫雲石と呼ばれる石から紫色の雲が発生し男体山の方へ棚引くのを見た事から、 この地を四神守護(青龍、朱雀、白虎、玄武)の霊地と悟り紫雲立寺(のちに四本龍寺)を開創した。
三重の塔は源実朝供養のため東照宮の地に建てたものを移築。平成19年 改修が終わる。国指定重要文化財。
観音堂は766年(天平神護2年)勝道上人がはじめて草庵を結んだところといわれる。807年(大同2年)下野国司橘利遠が千手観音を祀って建てた。 現在の建物は江戸時代。本尊千手観音、脇尊に不動明王・五大尊・勝道上人を奉安する。明治7年に金剛童子像を合祀したために金剛堂ともよばれる。国指定重要文化財。

早い秋、小玉堂まで
四本竜寺の東側は崖になって、道路から、稲荷川に落ちる。ここで黄葉している木を見ました。木の種類は分かりませんが秋が早過ぎると思いました。
四本竜寺から小玉堂までは迷って歩き回りました。鬱蒼と茂る林の中に院とか庵の名の建物が散在します。寺院のようでもあり、別荘のようでもあります。 夏は涼しいでしょう。 。

9小玉堂
重要文化財。立て札によれば、820年弘法大師(空海)が滝尾で修行中、池の中から大小二つの白玉が浮き出た。空海は小の玉を虚空菩薩の本尊として堂を建て祀った。 これが小玉堂である。また、大の玉は妙見大菩薩の本尊として中善寺に妙見堂を建て祀ったが明治時代に天災で失われた。

10開山堂 11勝道上人の墓 12観音堂 13陰陽石 15仏岩
同じ場所にあるので一緒に掲載します。817年3月1日(旧暦)勝道上人が入寂すると、崖の上の方で荼毘に付され埋葬されたが東照宮鎮座の時、墓地をここに移し、 上人供養の霊廟として建てられたのが開山堂です。上人の墓は左。
写真右端は観音堂で安産信仰の社、将棋の香車の駒が沢山置かれている、妊婦がこの駒を借りて自宅の神棚に祀ると無事安産と信じられている。
左が陰陽石(おんようせき)、石囲いの中に二つの小岩が陰と陽を示すという。この場所の奥が絶壁で仏の姿をした岩が並んでいたが地震で崩れ、今は六部天の石像(江戸時代初期)。

滝尾古道 昌源杉
開山堂から白糸の滝まではこのような道が続いてます。樹木に囲まれ風情のある石畳の道です。しかしデコボコでかなり歩きにくい。
道の右側は近くに自動車道があって少し開けて明るい。
1476年日光山第44世別当になった昌源が数万本の槇と杉を植えた。これが古道周辺に残る樹齢500年を越える老杉。

15北野神社 16手掛石
道左側に古びた鳥居があり、梅鉢紋を刻んだ巨岩を背に小さな石祠があり菅原道真を祀る。 1661年筑紫安楽寺の大鳥居信幽が勧講したと岩に刻まれている。
すべてが古びたなかで石造の御神燈は風化されておらず、 鳥居と石祠の紙垂(しで)は新しい。鳥居の右、道に沿って3体の石仏がある。
神社の直ぐ先右側の岩が手掛石。案内によると神社参拝後、この岩を欠いて神棚に供えると字が上達するという。岩に手を掛けて祈ってもよい。(国定忠治の墓石を思い出した)

17大小べんきんぜいの碑
古くはこの辺りに栃御門などがあり、これより滝尾神社の神域に入るので「大小便禁制」の碑を建てた。庶民に読めるように大小以外はかな書きと案内板に書かれている。
こういう注意書きが要るほど賑わったということか。石碑から「べ」の字以外は読み取れる。 「べ」の字は「辺」に点を打ったようにも見えるが。

18白糸の滝 
滝尾神社鳥居の左手前、天狗沢にかかる10mほどの滝。古くから知られた名瀑。
案内によると、1486年、京都聖護院門跡第二十四世道興准后が日光を訪れ、その時の紀行文「廻国雑記」に和歌が詠まれている。
 「世々を経て 結ぶ契りの 末なれや この滝尾の たきの白糸」 廻国雑記とは道興准后によって記された紀行文で約10ヶ月、京都から北陸、関東、東北地方の名所や歌枕の土地などを遊歴し、 その場所の説明と、そこで感じた感情を和歌・連歌・漢詩で表現しているという。

別所跡と影向石
滝から鳥居を潜り、急坂の石段を登ると緩やかな道となり左側がやや開けてます。ここに案内板がありました。要旨は、
「東照宮遷座以前、日光参詣の中心はこの滝尾周辺であった。1509年日光に来た連歌師宗長の紀行文「東路のつと」によれば 「ここより谷々を見おろせば院々僧坊およそ五百坊にも余りぬらん」とあり盛時の様子が偲ばれる。明治になって別所は廃絶された。」とあります。
別所跡の今は細い木立と小さな広場で何もない。 この別所跡の横に820年に影向石(ようごうせき)があります。弘法大師が祈って美しい女神が現れたという石です。写真中央石像左の岩です。

19運試しの鳥居
参道を進むと石の鳥居がある。鳥居の中央上部「額束(がくづか)」に丸い穴があり、小石を投げて穴を通った数で運を占うという。
鳥居の構造:左右2本の柱の上に水平に「笠木」を置く。2層にする場合は下側が「島木」。2段目の水平材が「貫」。笠木と貫の間、中央に入れるのが「額束」。


20滝尾神社 
石段を登って楼門、拝殿、そして唐門と本殿(右写真)と続きます。祭神は田心姫命(たごりひめのみこと)。これは宗像三女神の一柱。
すべて重要文化財。

21縁結びの笹 22御神木 23滝尾稲荷神社 24酒の泉 25子種石

滝尾神社一帯にあるのでまとめました。 縁結びの笹は写真を取り損ないました。御神木は鳥居の先に石柵に囲まれ3本の杉です。何れも二代目。稲荷神社がここでも赤い幟を連ねてる。 稲荷大明神は食物神・農業神・殖産興業神・商業神・屋敷神というから全国に在るわけ。お供えを忘れると化けてでて督促するという伝説は面白い。
酒の泉は古くから霊水と呼ばれて柵で守られ、地元醸造達が大切にしているという。子種石も鳥居、石柵を構えるが石柵より低い岩。中年のご婦人が熱心に祈っていた。
 
26行者堂
滝尾神社から引き返し、大小便禁制の碑のすぐ先から右に石段を登ったところの小さな堂です。扉桟の間から中を撮りました。中央は修験道の祖、役小角(えんのおずぬ)、 左右に前鬼、後鬼を従えている。

27空烟地蔵
行者堂から下がったところ、道の左側斜面に鎮座。
伝承:男体山登頂を試みる將道上人を励ますため地蔵が現れた。
史実:三代将軍家光の忠臣阿部豊後守忠秋の墓を造ったとき家臣が伝承を聞いて建立。
現実:ワンカップが供えられてるが荒れた感じ。

終わりに
軽いハイキングのつもりで出かけました。もう少し日光の歴史を調べておけばよかったのにと反省しました。 第一の印象は東照宮が出来たため人気の薄れた滝尾神社一帯です。日光開祖の勝道上人の墓まで移されてます。
第二は滝尾神社の営業努力です。縁結びの笹、子種石、稲荷神社の併設、途中には安産、学問の御利益を揃え、多くの伝説・伝承でありがたみを付け加えてます。 さらに運試しの遊びまであります。参詣人を集めるための昔の人もいろいろ努力してます。
第三は神仏習合です。神になったり仏になったりは民衆の好みに僧が合わせたのでしょうか。
昔、伏見稲荷は神社で豊川稲荷は寺と聞いたとき、同じ稲荷でなぜ?と不思議でしたが、神仏習合から納得しました。(不敬ですが”適当に”ですね)

日光といえば東照宮ですが、世界遺産に登録されたのは二社一寺で東照宮の他に、日光二荒山神社(別宮本宮神社、別宮滝尾神社を含む)、 日光山輪王寺(大猷院霊廟を含む)が一緒に含まれています。
これを書くため後知恵ですがネットで色々調べていたので掲載が遅れました。
(日光 滝尾の路 終わり)