アルプス2002(スイス・イタリア)−2
2002.8.20-30. △top page
ロゼックの谷からイタリアのドロミテ山地へ

6.コルヴァッチからロゼックの谷へ

最初にお断りを。前回の原稿を掲載しようとしたら容量超過でホスト・コンピュータから拒絶されました。やむなく古い項目を削除し、更に前々回の白山の項目の写真を全部縮小しました。そして前回の分も写真を半分程度に小さくしてやっと掲載できたという事情があります。写真が小さいと迫力に欠けるだけでなく分かりにくいのですが、このシリーズは写真点数を多く掲載したいので小さな写真でおつき合いをお願いします。では 前回の続きです。

ポントレジナの二日目は曇りです。前日予定を変更してデアヴォレッツアの展望台に行っていて良かったと思います。
今日もロープウェー駅までバスです。サン・モリッツを通ってスールレーユまで約50分です。ここからロープウェーで中間駅のムルテルを経由して終点のコルヴァッチで下ります。ロープウェーでは中学生くらいの30人ほどの団体と同乗しました。引率者も高校生くらいでどういう団体か分かりませんが実に賑やかでした。どこも同じですね。
さて、駅屋上が展望台になっていますが風は冷たくガスがかかり雪も舞っています。写真左のように防寒の重装備でも寒い! 写真の雪の斜面では大勢の人が滑って遊んでおります。ピッツ・コルヴァッチへは写真では右上方向です。ガスは時々はれるのですが、雪が滑りやすく危険なので登頂はあきらめます。

中間駅のムルテルまで戻ってここからハイキングです。尾根から下りて広い谷間を迂回して反対側の尾根に出ます。写真右のように谷間には氷河の末端があって溶けた水が流れていますが直ぐに砂礫の中に潜ってしまいます。写真左は同じ氷河をやや高い位置から撮影したものです。
反対側の尾根にでますと写真右のような立派な山小屋があります。
小屋の前が広い岩の棚になって前景は写真左下のようなガスに時々閉ざされる山と氷河です。遠くから眺める氷河は白く光ってきれいですが、近くで見る氷河の表面は下右写真のようにぐしゃぐしゃに荒れ灰色に汚れています。

ここで昼食、寒いので暖かいスープをとりましたが昨日と同じように押麦入りで、薄い雑炊を思わせます。これに黒バンが一切れつくのですが、この黒パンとスープをよく合うのです。これが農夫や牧童の食事かも知れません。弁当として各自昨日ののようにバン屋で好みのものを買ってきたのですが、私はスープと黒パンで十分でした。
食事の途中で雪が降り出しました。慌てて昼食を終え出発です。小屋の横に有料トイレがあります。50サンチームの硬貨を入れると扉が開きます。ユーロ圏では50セントですからちょっと高い。序でですがホテルの枕銭もスイスなら1フラン、ユーロ圏では1ユーロです。最近は枕銭の習慣もなくなってきたそうです。

ハイキングコースは尾根を越えてロゼックの谷に緩やかな下り道を降ります。周囲は岩と岩屑だらけですが不思議に草も花も点々と生えております。珍しい花を掲げます。

このハイキング道で何人かのハイカーを行き違いました。「ボジュール」などの慣れない言葉で挨拶をしていましたが、ある時家内が「今日は!」と日本語で挨拶したら向こうはびっくりしていました。直ぐ真似をして「今日は!」と言って別れました。彼がこの言葉を今後使う機会があるのしょうか。下り道で雨になり雨具を着ましたが、谷に降りる前に雨は止みました。今回の旅程でただ一回の雨具着用です。

左下写真がロゼックの谷です。我々は右の山腹から下りました。右手の谷の奥にはロゼック氷河が見えます。谷を下ると写真下中のホテル、ロゼック・クラッチャーがあります。ここから予約した馬車(写真右下)でポンテレジナの戻ります。このロゼックの谷はやさしいハイキング道で多くの人々がいました。馬車は小一時間ほどで、乗っていると速度は遅いと感じられましたが歩いている人を次々に追い越します。今日は天候が悪いので覆いをつけてあります。馬車から最初はロゼック氷河が見えますが、そのうち樹林帯に入り放牧地を抜けポントレジナの町はずれに着きます。馬車は寒い! 


7.小さな村々

翌日は移動日です。サン・モリッツから東北に走り、途中から東南に折れて国立公園を通過してオッペン峠を越えると果樹の多い広い谷間にでます。スイス領の東にくびれた端です。 サンタ・マリアという名の小さな村があります。道も狭く曲がりくねってしかも坂道です。道の両側はホテル、レストラン、手作りの土産物屋、手織の織物工房などですが、見てて飽きないのは壁飾りです。ポントレジナでで見たスグラッフィティです。左の写真は一例です。

更に行くと世界遺産に登録された教会があります(写真右)。世界遺産に登録されることによって来訪者も増え、喜捨も多くなり建物の修復や博物館 も出来たとか。近くに大きな駐車場がありまして路線バスも来ておりました。

その先に城郭に囲まれた村があります。何かのお祭りで大勢の人でした。ここは中を通過するだけ。
イタリア国境では柿沼さんが何か言うとニコニコ顔の係官がOK!、でパスポートの提示もなし。後日イタリアからオーストリア、更にスイスと国境を通過しましたが何処でも同じです。

昼食は駐車場に車が多い(従って客が多い)ホテルのレストランに入りました。メニューはドイツ語、柿沼さんが要求したらイタリア語のメニューが出されました。英語なはし。これはイタリア、オーストリアで私達の行ったところは何処でも同じです。この地は南チロルで第一次大戦まではオーストリア領だったのです。今はイタリア領ですが道路標識などは独語、伊語併記です。

いよいよドロミテ山地です。途中寄ったカレー湖は見所として大勢の観光客がいました。左写真のように峻険な山が写真右のように湖に写っているのです。ドロミテ山地はドロマイトから出来ているのです。ドロマイトは戦後日本でマグネサイトの代わりに製鋼用に使われた耐火物でしたが今はどうでしょうか。

8.ポルドイ峠とボエ山

今日泊まるポルドイ峠には夕方に着きました。写真右は夕食前の散歩の途中で峠を撮りました。雨で引き返しましたが翌朝は写真左のように晴れました。この峠は第一次大戦のとき戦場となった場所で記念碑があり、ホテル内には将軍か将校の並んだの古い写真が飾ってあります。
スイスでも見られたのですが、国境を越えてこの峠までの畑や放牧地に磔にされたキリストの像が沢山あります。村外れの祈祷所もあり、信仰心の強さ(少なくとも過去は)を感じます。この中で赤い血を流しているキリスト像もありました。像だけですと抽象的ですが、血まで見ますとあまりにも具体的で私たちにはなじめません。

峠の北側には台形のセラ山があります。麓から切り立った山ですが山頂は左写真のように台地状です。
でも実際に歩くと起伏があり、右写真のような急傾斜の岩稜もあります。朝ロープウェーで登り、歩いて最高峰のボエ山を目指します。途中で谷筋を下から徒歩で登ってきたイタリア人グループと写真を撮ったりしながら登ります。草木は全くなく月世界を思わせます。山頂到着後、違う道を下って山小屋で昼食、最後に小雨で急ぎました。ロープウェーで下山後、ドロミテの中心地コルチナまで車で走りました。

    以下次号に続きます。