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第3回 大山街道がつなぐ宮前・高津ウォーキング−2
No.2  2015.10.14.(掲載:10.26)

前回に続き第2回目で、これで今年は終了です。朝9:30高津区橘出張所に集合、いろいろな道を通り宮崎台駅まで歩き、13:30解散しました。

 
 橘樹郡衙遺跡と影向寺
出張所を出発すると学校校庭の端を廻る道になります。ガイドをつとめられる宮前歴史文化調査委員会の中平龍二郎さんのお話では、昔の道は低い所を避けて通るので 曲がりくねっており、この場所も校庭側が低くなっており、校庭との間の草も湿地に生える草で、昔は湿地と思われるとのことでした。
谷戸と思われる地形から丘を登る道が左の写真です。前方が切り通しになっており(写真では鉄壁)鎌倉街道の特徴とのことでした。
昔の尾根と思われる道を行くと橘樹郡衙跡の公園に着きます、倉庫群跡です。(写真右)「橘樹」の二文字で「たちばな」と読みます。
ここから影向寺に向かいます。途中左側、9/12に現地説明会で見た橘樹郡衙発掘現場はきれいに埋め戻されていました。
影向寺入り口右奥に大きな石があり、三重の塔の心礎と伝えられてます。ガイドによれば本堂の重文薬師如来三尊像は戦時中空襲の度に奥の板壁を外して避難させたとのこと、今は厳重な収蔵庫に安置。

 杉山神社
第三京浜道路を渡って影向寺道、稲毛道(?)、鎌倉古道(?)を通り杉山神社に向かいます。途中に拡幅されたような道路脇に新しい地蔵像が並び、 その先にブロック塀と頑丈な金網に囲まれた古い地蔵尊がありました。(写真左2枚)
その先の天台宗養福寺があります。さらにその先に杉山神社があります。
ガイドと宮司の話、それにネットで調べたところ、横浜、川崎に杉山神社は37社あり、町田市、稲城市に数社あるのみで、ほか全国にない、鶴見川流域にあるのが特徴で、 杉山神社を奉じる有力な一族がいたのではないか。
杉山神社は延喜式神名帳に名があり由緒ある神社であるが、現在のどの神社に当たるのかは分からない。 祭神は素戔嗚尊(スサノオ)の子、五十猛尊(イソタケルノミコト)で林業の神として信仰されている。私の散歩道にも杉山神社があり、急に身近になりました。

 明鏡寺と増幅寺
杉山神社を下った所に天台宗明鏡寺がります。三重の塔がきれいです。少し歩いて坂のコンクリート壁の中にイボ取り地蔵がありました。坂を上がると増幅寺でお茶と煎餅の接待を 受けました。

 口明塚古墳
マンションの玄関横に小さな丸い土盛りに「口明塚」と記された石柱が立ってます。くちあけと読みます。横穴式石室を円墳と推定されてます。住居と古墳が隣り合わせとは、 ちょっと気になりますが。

 
 末永の道標
田園都市線を越えて大山街道に直交する所に、末永の庚申塔に着きます。小さな建家に安置され、「右大山道 左ようこうじ道」としるされてます。


 お化け灯籠
青少年の家まで歩きます。ここに「武蔵野音頭」の碑があり、歌手に音丸の名があります。懐かしい名です。ガイドさんによればこの音頭も複雑な経緯でできたようです。 青少年の家の奥にお化け灯籠があります。旧日本陸軍東部62部隊が現在の六本木からこの地に移転するとき一緒に移したものです。石灯籠が夜歩きをするという噂が立ち、 灯籠の足を切ったという伝えがあります。
ここから大山街道に戻り、三叉集落庚申堂跡に着きます。今はありませんが庚申堂は「鮎担人足」の休憩所で鮎の上物は東京へ、その他は横浜に運ばれたとか。 また、百姓はむろを使った早咲きの花卉栽培で裕福な暮らしをしたとかのガイドの話でした。
予定より少し遅れて崎台駅に出て解散しました。距離にすれば短い区間ですが、新旧の施設にまつわる話を聞きながらの歩きは楽しい時間でした。 第1回目と同様に若い区役所職員が終始付かれ、私たちの安全に注意されました。ありがとうございました。
(終わり)